「富士山」は今日から山開きしたから須走口5合目に行くにはシャトルバスに乗り換えることになる。その直前の「たなばた」の日、私はマイカーで乗り入れできるうちにちょっと登ってきたよ。馴染みの「東富士山荘」でシャクナゲの開花状況を聞いてからスタート。「6合目」に向かって大好きな樹林の中、しっとりとした溶岩の斜面を進んでいくと濃いピンクの花が現れた。「タカネバラ」の残り花だった。
この一重5弁の美しいバラは日本固有の原種で、「♪知床の岬にハマナスの咲く頃、思い出しておくれ・・・♪」と歌にある北海道の「ハマナス」によく似ている。高山では白、黄色、紫色の花をたくさん見るけど、赤やピンクの花は珍しいなあ。尾瀬の「至仏山」とか八方尾根とか2000m級の高山で見られるそうだが、私は富士山でもこの須走登山道でしか見たことがない。
今日は参議院選挙の投票日だった。お昼頃家内と投票所に行ったら、高校生らしき若者と一緒の家族が目だったよ。風景が一変したね。全体の投票率が高まるかもしれない。大学生のYAさんは19歳で初めての投票に行ってきたそうだ。18歳から投票権が取れるようになって良かったね。UG会の3年生TA君、NIさん、OHさんも投票所に行ったかな?・・・
1年生MU君は前回、笑い話「とんだかくれんぼ」を和訳した。短めの英文はしっかり分析できていてずいぶんよくなった。「接続詞」の働きがわかってくればもっと長い文もすらすらと訳せそう。 as all children do, は「子供がみんな好きなように」、closed the door so hard that it locked. は so 〜 that・・ の構文で「ドアをあまりに強く閉めたので鍵がかかってしまった」 と結果として訳す。今日は「時制の一致」を勉強した。そして「話法」の書き換えにも挑戦してガンバった。人のセリフをそのまま伝える「直接話法」を、自分なりの表現で言い換えて「間接話法」に書き換える練習だった。高校の授業ではよく割愛されるけど、今日やったことはどこかできっと役立つよ。
EN君は前回「動名詞」で語句整序問題をやった。「息子にお金を必要以上に与えてしまったことを後悔している。」は give+人+物 となることが基本。 I regret having given my son more money than was necessary. 後半はむずかしい。このthan は関係代名詞で、〜money which was necessary と同じだけど「先行詞」に比較級のmore がついているから。今日は「助動詞」の大切な表現を勉強した。 have to〜 (〜せねばならぬ)、 don't have to 〜 (〜する必要がない)は中学で勉強したし、高校では have only to 〜 (〜するだけでよい)を教わった。なぜこんなにバラバラの和訳を暗記しなきゃならないの?共通点がわかればもっと覚えやすいのに・・・。そうなんだね。実はhaveの目的語に「義務」が省略されていると考えればいいのだ。 have to〜は「〜する義務を持っている」と考えればいいし、否定形なら当然「〜の義務がない」で、onlyがつけば「〜の義務しかない」と考えれば良いのだね。先生たちの教え方にもっと工夫があるといいのに。
大学生のYAさんは前回、「大阪大」の入試問題で「手紙、葉書のかきかた」の10行くらいの和文を全訳した。英文で明快に伝えるには、長い日本文をどう整理し直すかが必要で難しい問題でもあるね。今日のTOEIC模試は難問が多かったなあ。「AをBに指名する」はnominate A for B (第3文型)だけど、name A B なら第5文型で書ける。We named the cat Tama. だったね。大学は今、前期試験の真っ最中で、英語はTOEFLとTOEICの本試験を2週続けて受験するそうだ。高得点が取れると良いね。 尾上
(追記)御殿場教室を終えて帰宅途中、きれいな三日月がかかっていたので富士山を見上げたら、「富士宮口」も「須走口」の7〜8合目の小屋にも明かりがともっているよ。もうじき山頂を目指して長い光の列がみられそう。今夜は雲一つ無いから明日は見事なご来光が拝めるだろうな。昨年の今頃は私もその光の列に入って8合目でご来光を見た。「須走登山口」から徹夜で9時間も歩いたからくらくらのふらふら。もう二度としないよ。
先日の「富士山」は6合目の「長田小屋」まで2時間、下りは「砂走り」を1時間ほどで下ってきてこの「東富士山荘」という小屋で遅い昼飯にした。もう一軒「菊屋」という小屋もあって、それぞれの従業員が店前に出て大きな声かけをして、下山してくる客引きの競争だ。私は昔「きのこ狩り」に夢中になって、ここのご主人が代表して出版した「きのこ図鑑」を購入したり、「小富士」の林で自分で採ってきたきのこを選別してもらったりしたから、こちらの「東富士山荘」がお気に入りだ。
おかみさん得意料理の「きのこそば」を頂きながら、顔なじみのよしみでいろいろ話しを聞いた。須走口5合目の「東富士山荘」はこの地で営業を始めて70年だそうだ。2代目の御主人が小山町の議員になったので、今はおかみの裕子さんとご子息できりもみしている。「先代は須走の御師(おし)で、富士山信仰で登山する人たちの案内・接待の仕事をしていたのよ。」そうか、富士吉田市にも「御師」の家がまだ残っていたなあ。
「このすぐ上にある古御嶽(こみたけ)神社の管理をしていた関係で、県道ふじあざみラインがここまで開通した時に、この5合目登山口で開業したの。隣の菊屋さんは1合目の馬返しというところで茶店をやっていて同時にここへ移ってきたの・・。」この小屋は富士登山のガイド協会も担当しているから人の出入りが激しい。先ほど私と一緒に登っていった20人ほどの外国人の一行も、この小屋から出発したのだった。
今は7合目あたりまで登ったはずのグループからこの小屋に無線でしきりに連絡が入るよ。オーストラリアのブリスベンから来たという4人家族、全く通じないことばでしきりに話していたスエーデン人の両親と男の子など、今夜は8合目の小屋に泊まって明朝山頂を目指すそうだ。「世界遺産」に憧れて「富士山」に来る外国人は年々増えている。英語でおしゃべりしながら山に登るのは実に楽しいよ。
