毎日暑いね。今日は十里木高原に行って「越前岳」を「馬の背」の先まで登ってみた。ここは目の前の「富士山」とまるで対峙するような高さで東京方面の登山者に人気が高い。呼べば応えてくれそうだが今日は山頂にガスがかかって展望がない。夏休みなので親子連れや若いペアが下ってきて「コンニチワ!」と声をかけてくれるのがうれしい。
「馬の背・展望台」の先に進むとイチヤクソウに似た初見の花を発見。調べたらシロテンマ、別名オニノヤガラというラン科の絶滅危惧種だった。箱根では終わっていたノギランもここで発見してラッキー。真っ赤なキノコ「タマゴタケ」も4本発見。バターソテーにしてお夜食で食べたよ。
登山口に戻ってくるとススキの大草原がひろがっている。ピンク色の鮮やかな唇のようにラッパ型になった10センチほどの花がススキの藪の中にちらほら。知らずに通り過ぎる人も多い。「ナンバンギセル(南蛮煙管)」といってススキの根元に咲く寄生植物だ。先端にタバコの葉を詰めて吸ったキセルに似ている。「思い草」ともいって、「万葉集」に秋の季語として登場するそうだ。もう秋か・・・
EC君は文法・作文で「分詞」をやった。使役の「〜してもらう」はhave+物+過去分詞(〜を〜してもらう)と、have+人+原形(人に〜してもらう)をしっかり区別できるように。川崎医大の「その自転車を修理してもらうのに1万円かかった。」は、It cost me ten thousand yen to have the bicycle repaired.と書く。To repair the bicycleだと自分で修理することになる。和訳では The educational system prepares them for a society that values creative ideas.が難しかったね。values が動詞だと見抜けなかったね。「価値」から「〜の価値を認める」つまり「大切にする」という意味だ。「その教育制度は彼ら(子供たち)に、創造的な考え方を大切にする社会にでる準備をさせてくれる。」動詞のprepareの後に「人」があるから「人に〜への準備をさせる」という意味があることも初めてだったね。
KI君は第6課「動名詞」をやった。大切なイディオムがたくさんあるがほぼ正解だったね。作文では信州大の「自然に対する日本人の愛情が、過去50年の間に変わってしまったことを、我々は否定できない。」We cannot be against that SV〜ではまずい。that節の前につけることの出来る前置詞はin that〜(〜と言う点で)とexcept that 〜(〜であることを除けば)のみだ。だからagainst the opinion that〜と書けばOK。(〜という意見には反対)となる。KI君も夏期講習に参加希望を出してくれた。解答処理のスピードアップも必要だ。ガンバロウ! 尾上
(追記)揚げパンの「ピロシキ」に限らず、「ロシア」の不人気といえばさらに思い当たる。親友ON君の勤務する「東洋書店」が先月突然倒産してしまった。彼が編集を担当した「現代ロシア語文法」や「ロシア語ハンドブック」などは類書を見ない大規模な貴重なもので、ユニークな出版社であったが時流には勝てなかったようだ。デジタル出版の時代で、ペーパーは売れなくなっている。
ロシアで宇宙飛行士「ガガーリン」が人類最初の宇宙飛行に成功したのは1961年。私が高校生の頃だから、君たちのおじいさん、おばあさんに聞いてごらん。宇宙船「ヴォストーク1号」で有人飛行に成功し「地球は青かった!」の名セリフを残した。続いて63年、初の女性宇宙飛行士「テレシコワ」が同じ宇宙船の「6号」に乗った時の「私はカモメ!」も後世に残っている。理工系の世界だけでなくロシア語がブームになって当然の時代だったのだ。一方、同じ63年にアメリカは広く敬愛されていたケネディ大統領を公衆の面前で暗殺するような恐ろしい国のイメージだった。ケネディが宣言した「アポロ計画」の「11号」で69年、やっと月面着陸に成功するまでのこの10年は、米国とソ連の宇宙開発競争の時代だった。
大学時代から半世紀以上にわたる親友ON君は、同級生のなかでもずば抜けてロシア語に長けた2人の一人。もう一人のTA君は更に研究の道に進み「防衛大学校」のロシア語教授になった。ロシア語ブームのこの時代、ON君は恩師に乞われて68年大学卒業と同時に辞書で有名な「研究社」に入社し、計画中の「露和辞典」の編集を担当することになった。それまでは「露和辞典」といえば主に「三省堂」と「岩波書店」の中辞典2種しかないので新しく「大辞典」を作る、というものだった。
「研究社露和辞典」初版が出版されたのは1988年。ON君が編集を担当してから20年たっていた。それくらい辞書編集の仕事には大きな予算と労力と歳月がかかる。こんな大きな文化教育の事業なのに国や企業の援助は全くなくて、辞書の売り上げだけが頼りなのだというから出版業は火の車だ。最近の「舟を編む」という映画を見た?あの主人公の生活ぶりを見れば編集者ON君の姿も想像できるよ。それだけではない。辞書は出版されるとすぐに「改訂版」の準備に入る。10年、20年後を見据えてね。「ことば」はナマモノで、常に生まれては死んでいくから。
昔、高校の英語教科書「New Age」も出版していた「研究社」には、「高校英語研究」という大学受験生向けの月刊雑誌があった。ON君の依頼でそのコラムのひとつ「英作文添削指導」を廃刊まで担当していた。88年には「英作文で80%をモノにする方法」という5ページの特集記事を書いて載せてもらえた。研究社の看板とも言える「英和中辞典」や「英英辞典」にもON君の功績ははかり知れないし、さらに2000年には姉妹編の「研究社和露辞典」も10年がかりで出版させて、一人で「露和」も「和露」もという希有の功績を残して「研究社」を定年退職した。
再就職先に招かれた「東洋書店」でも冒頭に述べたような大きな足跡を残して先月、ON君は還暦以来10年ぶりに再び自由の身となった。じつはON君も私が山登りに誘い込んだ仲間の一人で、6月は「八ヶ岳山麓」を一緒に歩いた。来週末も「河口湖」の「釈迦ヶ岳」と「黒岳」に登ることになっている。6月は奥様をロシア旅行に案内したし、ポーランド語にも手を広げてスピーチコンテストに挑戦したり、自分もパソコンで「ブログ日記」を書こうと御殿場の私に教わりに行きたいと言っているよ。お互いに「終生現役!」だね。
