青空の下、さわやかな秋風の吹く「金時山」に登った。今年になって19回目になる。中腹の展望台には薄紫色のマツムシソウが20も30も。山頂に着いてみると岩陰にはシラヒゲソウが6本も咲いて美しい。乙女峠側の秘密の大岩に行ってみたらここにも5株発見!この春や夏には直立の岩肌にコイワザクラやイワタバコがビッシリと群生していたから、似たような環境できっと何本か咲いているかもしれないと予想したら大当たりだったよ。大湧谷の噴気もだいぶ治まって、付近の自動車道も通行禁止がやっと解除となったらしい。「金時娘」の妙子さんや息子の秀峰さんも、登山客の減少で売り上げが減るのを心配していたがこれで一息つけるかな・・・。
今日は朝から雨がやまず、午後は珍しくテレビで国会中継を見ていた。安保法案の委員会審議で、野党の顔なじみの福山さん、福島さん、山本さんがどんなにていねいに法案の危険性を説明し一層の審議の延長を訴えてもダメだった。とうとう原案通り可決してしまった。ああ・・。
今夜はいつもの会議室が幼稚園の抽選会の会場になっていたため使えず、カーペットを敷いた広い「視聴覚室」を借りた。新しい会員を迎えるにふさわしい立派な部屋だ。TACさんの紹介で3年生のMIさんが加入し、早速プリントに取り組んでもらった。今日の「譲歩」の項目はかなり難しいけど文法・作文でほぼ完璧に正解だった。力あるなあ。次回の英作文はもうちょっとレベルを上げようかな。
もう一人男子でEC君の後輩2年生もお母様と体験に参加してくれた。短時間だけど「譲歩構文」のプリントで入試問題の「和訳」をやってもらって添削してあげた。入会してくれるといいな。
KI君は「仮定法」を勉強した。動詞の語形に注意が配れていて、難しい文法も作文もほぼ合格点だった。和訳では「立命館大」の As of all other good things, one can have too much even of reading. が難しかったね。As of April 1 (4月1日現在で、・・)というイディオムは大事だがここは違うね。後のof reading と of all other good things が対比されていることに気づいて欲しい。次の文で「やりすぎると読書も悪徳になる。」と言っているから、「ほかのすべてのいいことのように、読書についても人はやりすぎてしまうことがある。」と訳せるといいね。この As は「〜のように」の接続詞だ。canはmay(かもしれない)の意味だね。
EC君は「譲歩」をやった。前置詞句で in spite of the rain や despite her wealth は、節なら Though it rained, とか Though she is wealthy,と「接続詞+S+V」で平易に表せる。There are few, if any, such men.(そのような人はたとえ少しはいるとしてもてもほとんどいないよ。)とか、 He has seldom, if ever, spoken in public. (彼が公の場で話をしたことは少しはあったとしても滅多になかった。)のように、カンマカンマで割り込ませることで、直前の否定語 few と seldom に対して「たとえ〜でも」と譲歩的に(逆接のように)注釈を加える表現だ。His condition is serious, if not fatal. (彼の体調は重態だ。命取りとは言わないまでも。)も同様に直前の形容詞 serious に注釈を加えているね。
初めてのMIさんに、二次対策の英文和訳をやってもらった。カンマが多用された英文に少々手こずったね。 The soul of a journey is liberty, perfect liberty, to think, feel, do just as one pleases. (旅行の神髄は考える自由だし、感じる自由だし、人が好きなように行動する自由でしかも完璧な自由だ。)と訳せると良かった。@「カンマ・カンマはカッコのこと」と覚えておくときっと役に立つよ。だから不定詞 to think は、liberty を修飾するわけだね。
そして次の文 We go on a journey chiefly to be free of all impediments and of all inconveniences; to leave ourselves behind, much more to get rid of others. はセミコロン(;)で区切られているね。音声としてはただの空白だから、聞いている人はピリオドと思うかもしれないから訳もここで切ろう。「私たちはおもに、あらゆる障害や不便なことから逃げるために旅に出るのだ。」そして後半の to leave や to get 以下の文は、前述の to be free 以下を「説明」しているね。「つまり、自分を置き去りにするためであり、ましてや他の人たちから逃れるために。」ここでAセミコロンは「即ち」と訳を付け加えるようにするととても良い。「決してandや so ではない」と説明したね。 尾上
(追記)「1976ヨーロッパ一人旅」の第3部。完結編です。
こんなにいくつもの国境を越える体験はなかなかできないから、帰国したら「ヨーロッパの国境について」というテーマで「研修報告書」を書いても面白いな、と思った。この長い休暇は「自主研修」として教育委員会に許可をもらってきているからね。
その頃「ユーゴスラビア連邦」は7つの共和国から成り立っていた。ソビエト連邦の友邦国の一つで共産圏だが、イタリアやオーストリアと接しているから西欧とも仲が良く、資本主義国の良い点はどしどし取り入れていた。同じスラブ民族とはいえ様々な共和国をまとめるのはカリスマ性の高い「チトー大統領」だったが、4年後の1980年に亡くなった後は案の定紛争が起きて、その後分裂してしまい今はすべての共和国が独立している。
真夜中に国境をこえてイタリアからスロベニアに入っている頃、ぐっすり眠っていたのに、車掌に大声で起こされた。ルームランプをつけて「ビレット(切符)!」。ロシア語と同じだからわかる。今までは「ユーレイルパス」が使えて、ヨーロッパ中どこの国でも乗車賃を払ったことがなかった。ここは東欧圏だった。13ドル(3900円、当時は1ドルが300円だった。)だと言うから20米ドル札を渡すと、「ドル」のおつりがないというので、ユーゴの通貨で1050ディナールをもらった。
H早朝やっと連邦のひとつクロアチアの「ザグレブ」に到着。街中の観光をして、夜はカテドラーラ(教会)でコンサートを聴いた後、学生寮のような宿に安く一泊させてもらった。翌朝また列車に乗りセルビア共和国の「ベオグラード」に向かう。
国境あたりで駅名を見ると普通の「ラテン文字」と「キリル文字」(ロシア文字やギリシャ文字に似ている)の両方で書いてある。同じコンパートメント(6人用小部屋)の仲の良い男女が「ドビジェニエ」と言って降りていった。ロシア語の「ダスビダーニア」(さよなら)とそっくりだ!東スラブ語と南スラブ語という姉妹関係なのだ。
I「ベオグラード」は連邦の首都らしくどっしりした都会だった。たった4時間の滞在で何が出来るのか。有名なレストラン「ズラトニ・ボカル」(金の瓶)で夕食を取って市民の観察をしてから夜の町を歩くぐらいしかなかった。あこがれの「オリエント急行」の路線は、この隣国「ブルガリア」を越えて終点の「トルコ・イスタンブール」まで行くことになるのだが、しかしもう時間も予算も余裕がない。ドイツに戻ることにして22:55の2等車両でオーストリアの「ウイーン」に向かった。
ウイーンの中央駅は大きくてピカピカの大理石造りだった。J「ウイーン国立歌劇場」の前を通って「ホーヘンブルク」宮殿の庭園を散歩。「モーツアルト」と「ヨハンシュトラウス」の銅像発見。「ウイーン歴史美術館」では「ティツィアーノ」の傑作をたくさん見つけ感激したよ。翌日はK「ザグレブ」を訪問してモーツアルトの生家や「パパゲーノ」の像、有名な「モーツアルテウム」音楽院を訪問。日本人留学生が多くて、話しかけた女性は高校3年生だった。その後、特急列車TEE「青い桔梗」号で再びドイツとの国境を越えてL「ミュンヘン」に戻った。
ここからは定期観光バスで「ロマンチック街道」を北に向かって走り、出発地のフランクフルトに戻ることになった。途中M「ノルドリンゲン」とか「ローテンブルク」など8つの中世の町に立ち寄りながら、高速自動車道「アウトバーン」をバスは快適に走る。夕陽が沈む頃、出発点フランクフルトに着いて12日間の「アルプス一周の旅」が終わった。ヨーロッパは狭い面積だけどやはり広大で多様だった!









