「強羅公園」
きのうはまだ4月だというのに初夏の陽気だったね。箱根のドライブに出かけてまずは「早雲山」に向かった。早川渓谷に沿って新緑がまばゆいほど美しい。箱根も桜の季節が終わると赤や白のツツジの世界になった。宮ノ下から急な坂を登りつめるとケーブルカーの終点の「早雲山駅」に着く。駅舎は最近改装されて、2階の展望台に半円形の長い足湯ができた。そこにはテーブルもあるので、今日の目的は弁当持参で足湯につかり、箱根外輪山の「明星ケ岳」「明神岳」を展望しようだった。様々な顔つきの外人たちも珍しがって、私たちの隣に座ってズボンをまくり上げて脚をお湯に突っ込むから国際親善の混浴だね。
午後は坂を下って「強羅公園」に寄ってみた。家内の歩行練習もかねて、急斜面の上の裏門から入り、階段やスロープで少しずつ下って行った。ここでも外国の観光客に大勢出会う。有名なローズガーデンはまだバラには早すぎていたけど、シャクナゲやツツジが満開で素晴らしい。階段を少しずつ下りて中央の「噴水広場」に来ると色とりどりの草花に縁どられて、周囲の洋風カフェやレストランもあって記念写真をとるのには絶好の場所だ。100年以上も前の大正年間、別荘に来た避暑客たちのために造成された左右対称のフランス風公園だそうだ・・・
しばらくは「裾野教室」の授業のない木曜日もブログを続けたいと思います。「英語」にまつわる個人的エピソードを中心に半世紀前を振り返ってみます。
「英語教師 なりはじめ」
今から56年前の昭和42年、吉原高校には9月から常勤講師として採用された。つまり、ほかの先生と全く同じ勤務形態で資格は講師。7月に静岡県の教員採用試験を受験、10月には東京都の試験も控えてまだ合否の結果が出てはいなかった。卒業はしたけれどまだ東京外語大の聴講生に籍を置いていて千葉県柏市の実家にいた8月末、吉原高校の浦辺校長先生から電話があった。英語のベテラン教員が突然退職したのでその後任として来てほしいと。「女子高」と聞いて私は逡巡したが翌日受諾のお返事をして静岡県に向かった。大学は週に1回出席すればいいから。
製紙工場に囲まれた吉原市(後に富士市に編入)は東海道線で吉原駅に着く早々煙突の煙と臭気に悩まされたが、緑が丘の上に立つ高校までは届かなかった。富士山を背景にした木造の歴史ある校舎で、前身の「旧制吉原高等女学校」は「沼津高女」(現沼津西高)、「三島高女」(三島北高)と共に名門の誉れ高かった。(ちなみに私の母は大正10年の生まれで「三島高女」の出身)。9月1日から私はなんの練習もなしにいきなり2年生と3年生の英語の授業を途中から引き継いで担当することになった。17、8才の大人びた女子ばかり1クラスに50人もいる前で24才のお兄さんにどんな授業ができただろう。 尾上
