「美ヶ原の夕焼け」
これが見たかった!こんな壮大な夕焼け、前にいつ見ただろう?眼下の松本や塩尻の街は流れる雲の下だけどその向こうの上高地、乗鞍方面の大空をオレンジ色に染めて太陽が落ちていく。この夕陽が沈むのをじっと見つめている若者、家族連れの少女の顔も真っ赤だよ。振り返れば絶壁の頂の「王ケ頭」に雲が駆け上がっていく。南の方角は「南アルプス」の山々。そして「八ヶ岳」とその右には三角形の山も、富士山だ!
30年ぶりに「美ヶ原」に来たよ。「和田峠」から「ビーナスライン」に入り「扉峠」を越えてこの山頂の広大な歴史ある牧場に着いた。ここはもう2000mを越えた高山なんだ。すっかり晩秋のたたずまいで、放牧の牛たちの姿もわずかだ。大好きなヤナギランの跡形もないし野菊やトリカブトの姿も見えない。今夜の宿泊地「王ケ頭ホテル」に荷物を置いて急いで西端の「王ケ鼻」まで歩いてきてピッタリ日の入りに間に合った・・・
2年生のKA君は前置詞of、to、withを伴う動詞の表現を勉強した。なかでもThis medicine will cure you of your bad cold. (この薬であなたはひどい風邪が治る)は、ofがoff(はなれて)の意味で、「あなたを治療して風邪を引き離す」の意味になるから難しいね。No one should be deprived of freedom.も同様だけど受動態だから和訳しにくい。「だれも自由を奪い取られるべきではない」
YAさんは前回、助動詞のmust、should、mayの用法を説明する英文が見慣れない書き方で和訳するのに困ったね。イタリック体で書いてある部分は「引用」だから、和訳しないで英語のままでいいんだ。今日は動詞doとhaveを使うイデイオム表現をいくつか勉強した。He had the strength to love others in the face of hate, injustice and death. 「彼(キング牧師)は憎しみや不正、死に直面した時でも力強くほかの人々を愛した」ではHe was strong enough to love〜と言いかえできる。
御殿場教室の3年生TU君が参加した。前回は「大阪市大」の英文「肝臓の働き」が訳しにくかった。・・・and turning it into glycogen, only to reconvert it into glucose which goes back into the blood. 「そしてそれ(グルコース)をグリコーゲンに変えるけれど、結局それ(グリコーゲン)をまたグルコースに変えて血液に戻っていく・・・」と訳す。, only to〜は「しかしその結果〜」の意味だったね。今日は入試によく出る「会話表現」を50問やってみた。失敗した問題はしっかりと復習しておいてね。
同じくSI君も出席した。前回は英文和訳で、同じように「結果」のonly to〜が問題だった。It is discouraging to tell the truth only to find that we are not believed. 「本当のことを言ったのに結局信じてもらえないとわかるとがっかりするよ」。He worked hard only to fail again. 「頑張ったのに結局また失敗した」と同じ構文だね。今日は「時制」の入試問題に取り組んだ。I was doing my homework when he called.とHe had been reading for two hours when she came in. とで動詞の違いが難しかった。 尾上
(追記)山頂の案内板を見ると、西側の松本市街地から美ヶ原を見上げた時に王冠のように見えるのが「王ケ頭」で、その手前に突き出している岩山が「王ケ鼻」つまり王様の鼻だそうだ。霧が晴れたら崖の下の方がくっきりと見えたよ。あの牧場は「三城牧場」だね。オートキャンプ場もある。「王ケ頭」に登山するには昔からそこがスタート地点だ。一番きつい「百曲がりコース」で登ってきた老夫婦にホテルで出あった。
「ビーナスライン」は「白樺湖」から登って「車山」や「霧ヶ峰」にかけてのドライブウエーも素晴らしいよ。「車山スキー場」には「御殿場南高校」時代に同僚たちとよく滑りに行ったし、「八島が原湿原」や「車山」には家族ハイキングでたびたび訪ねたなあ。「コロボックル」というランプの山小屋に泊ったのもいい思い出だ。スイスのグリンデルワルドのような広大な緑の高原が素晴らしかった。
茅野市から始まる全長76キロの「ビーナスライン」は、北側の半分が「美ヶ原高原」につながるシラカバやカラマツの道でその起点が「和田峠」だ。ここは軽井沢から小諸を通り、諏訪湖に抜けていく「旧中山道」で一番の難所だったそうだ。真田の上田城から「関ケ原」の合戦場に向かって急いだ2代目将軍徳川秀忠も、京都から江戸に降嫁した皇女和宮も越えた峠道なんだ。標高1500mで冬期は積雪に苦しむ峠だ。今は「新和田トンネル」が「佐久IC」と「岡谷IC」をつないで便利になった。
