「シベリアへの船旅」
大学の同窓仲間が話題にしている川越宗一の「熱源」という小説を私も読んでみた。昨年春「直木三十五賞」をとって今も人気が沸騰中で、市の図書館に予約して一か月後にやっと借りられた。東京の友人は近所の図書館で前に25人も待つ人がいてまだ読んでいないそうだ。舞台は明治時代の「樺太」。ロシア領だったサハリンが1904年の日露戦争で敗けて南半分が日本領になった時代、原住民のアイヌ人たちが日本の同化政策にもがいていた時代の話で実に興味津々。
物語は40年後の第2次世界大戦で樺太が再びロシア(ソ連)に取り戻されるところから始まる。モスクワ大学出身の女性兵士がシベリアの東海岸に護送されてきて、対岸のサハリンを目にするプロローグからワクワクさせる。実は55年も前に、私もこのシベリアの海岸に行ったことがあるんだよ。「ラザレフ岬」はタタール海峡(日本名、間宮海峡)が一番狭まった所で、対岸のサハリンが7キロ先に見える。泳いでも渡れそうな距離だ。その荒涼たる原野に22歳の私が立っていた・・・
3年生のOB君は前回「英作文」で、「橋を渡るときに帽子を吹き飛ばされた」は、When I crossed the bridge, I had my hat blown off. と書けるとよかった。このhadは「使役」(させる)や「被害」(される)を表すのだったね。My hat was blown off. では「他人事」になってしまう。今日はいよいよ「共通試験」が明後日に迫って、長文の予想問題に取り組んだ。いい結果が出せるように最後まで粘り強く行こう。
YAさんは、明日のテストに向けて新出単語の暗記に専念していた。
1年生のKA君は前回「語句整序」がどれも難しかった。「今日の私があるのはひとえに両親のおかげです」は、動詞のoweを使え、とあるから構文「owe 物事 to 人」(物事を人に頼っている、人に負い目がある、人に借りがある)を使いたかった。I owe what I am today to my parents. この関係詞whatは「こと」や「もの」ではなく「すがた」と訳すとよい。「今日の私の姿」のように。今日は「関係詞」の語句整序と英作文をやった。During my trip abroad I experienced diverse cultures and customs. (外国旅行中、私は様々な文化や風習を経験した。)の後に、I found some of them quite interesting. (そのうちの一部は実に興味深いものだった)を、関係詞whichを用いてつなげるには、some of which I found quite interesting. とすればいい。
卒業生のKA君も「共通試験」に向けて大事な動詞イディオムをたくさん覚えた。 be at loss(迷っている)、do without〜(〜なしですます)、make up for〜(〜を補う)、see to it that ・・・(・・・であることに注意する)、make it a rule to〜(〜することにしている)、be known to〜(〜に知られている)、be of an age(同じ歳で)、put up with〜(〜を我慢する)、talk to oneself(独り言を言う)など、もう一度確認しよう。自信をもって本番に臨んでください。 尾上
(追記)自分が小説の主人公になったような書き出しだったけど、私は大学3年生の夏休み、アルバイトでロシア語の通訳をやった。それは大阪のA商社がシベリアの木材を輸入するため、富山県の「伏木港」から貨物船を出して、社員がロシア側と交渉する時の通訳に雇われたのであった。船は佐渡島、奥尻島、利尻島を通過して「日本海」を北上し、タタール海峡に入ってさらに最奥の「ラザレフ岬」にやっと接岸した。
船のタラップを降りてシベリアの大地に足を踏み入れた瞬間を今も忘れられない。人生初の外国だったし、出航から4日間も揺れ続けた船からやっと「静止した」大地に立てたから感慨も一入だった。町はずれの港の付近には船員用の小さなクラブハウスが一軒だけ。そこまでずっと泥んこ道が続いて、舗装の代わりの板の上をトントンと歩いて行くしかなかった。木材の積み込みが終わるまでは通訳の仕事がないので、クラブに遊びに行ってロシア人のおばさんとダンスをやったよ。
