御殿場市民会館にて
「小田原城へ」
ポカポカ陽気に誘われて箱根を越えて「小田原」に下って行った。「松永記念館」という小田原市の「郷土文化館」に着いてみると、日本庭園の工事中で残念ながら6月まで閉館だった。明治時代に「電力王」と呼ばれ、数寄茶人としても高名の「松永安左ヱ門」が収集した古美術品が展示されていて見てみたかった。昔ここの館長を私の知人が務めたことがあるというので気になってもいたのだ。
小田原城までわずかな距離なので久しぶりに城のお堀端に車を停めた。高い石垣に囲まれた「常盤木門」をくぐると松の古木が30mの高さで、満開の河津桜と並んで聳え立っている。本丸の広場には60年前に再建されたものだけれど真っ白な天守閣がそびえて見上げると感動する。秀吉の「一夜城」作戦で滅ぼされ、北条氏から徳川家の手にうつり明治維新の廃藩置県で解体させられたそうだ・・・
2年生のSI君は英文「言語の役割」を和訳した。As we grow older, we become members of other groups outside our home and learn to use language as a way of fitting in with them and taking part in their activities. の長い一文で難しかったが、それはandが二度もあるからだ。大切なA and A‘ のルールを思い出してほしい。動詞現在形のlearnは前のbecomeとつながるし、動名詞のtakingは前のfittingと並列しているね。だから、「家庭の外のいろいろなグループの一員になって、彼らに溶け込みその活動に参加する方法として言語を使うようになるのだ」。
TU君は前回「関係詞」で英作文をやった。「外国語を学ぶ最良の方法はその国語が話されている国へ行くことです」は、主語は「不定詞」を使ってThe best way to learn a foreign languageを主語にする。後半に「関係副詞」whereを使えば、〜is to go to the country where it is spoken. とつづく。今日は「無生物主語」の構文を勉強した。「物事」が「人」に対して「〜させる」という文は日本語にはまれなので和訳では、「物事」によって「人」が「〜となる」とする方が自然だ。This confidence explained to him his reputation as a wise man. で、「説得」は人が他人にする行為だから、その他人が説得されたことになる。つまり、「こういう確信のおかげで、彼は自分が賢人だという評判に納得したのだ」。
今夜は終了間際にTU君のお姉さんが駆けつけて懐かしい姿を見せてくれた。昨年春「UG会」から名門「津田塾大」の英文科に進んだ人。地方の国公立も受けたけれど首都圏の大学にしてよかった、という。アルバイトにしても友人関係にしても選択幅がとても広くて、まだ対面授業は一度もないけれど充実した学習環境がリモートでもできているそうだ。至近距離に「一橋大」「学芸大」「外語大」や「ICU」もあるから、他大学の講座を聴講するチャンスがあるし、サークルも大学枠を超えた活動ができるんだね。
昔「外語大」4年生の時に、私も「早稲田」や「青山学院」の授業にもぐりこんだことがある。4年生の時は渋谷駅前の「東急ビル」で夜間の「言語学講座」が1年間無料で開設されて、東大、早稲田、慶応の有名な教授から直接少人数指導を受ける機会に恵まれたよ。「音声学」や「社会言語学」などに加えてUG(普遍文法)や「生成文法」の手ほどきを受け、その創始者MIT(米国・マサチューセッツ工科大学)のN・チョムスキー博士が来日し夏期講座を開催した時には1週間受講に通って刺激を受けたよ。
東京は学習や研究の環境が充実しているね。キャンパスの中にも外にもアンテナを高くして学問をおおいに楽しんでください。また機会があったらお話を聞かせてください。 尾上
(追記)「松永記念館」の館長だったというその知人は、40年前に亡くなっていて実際にお会いしたことはなかったが、私の亡父や兄弟が幼少時代に東京で仲良くしていただいた娘さんのお父様、「田山方南」という名前の文部官僚で古書文献の有名な学者だった。伊賀の上野中学から金沢の四高、そして東大文学部へとエリートコースを順調に上り詰めた秀才だ。先々週、私が三重県の伊賀市に母の納骨で出かけた折、お寺の墓がお隣りどうしだった。
親戚ではないが「田山家」とは祖父母が長年親しくしていただいたようだ。先日93歳になる長女の迪子さんに電話をしてみた。父の納骨でお会いして以来23年ぶりで、家業の製薬会社の社長を長男に譲って、今は伊賀市の特別老人ホームで悠々と過ごしておられた。「おなたの祖母たねさんは、原宿の千駄ヶ谷小学校のまえの自宅で文房具屋をやってたのよ。杉並区の家から私が遊びに行くとよくお店番をまかされて面白かったわ。」
自分の生まれた家がどこか知らなかった。8歳の頃祖父がその跡地に連れて行ってくれた覚えがあるけど。Google Mapではっきりその場所を確認し、ストリート・ビューで現在の様子も分かった。なんだかとても懐かしい。「でも昭和20年3月の東京大空襲では、我が家も尾上さんの家も焼かれてしまったわね。私は女学校に入っていて苦労したけど東京にとどまって薬科大まで進みました」と。記憶も言語も実に達者でとても93歳とは信じられない女性だ。









