裾野市民文化センター
「時の栖は桜吹雪」
ウオーキングがてらお昼は外で食べようかと市内神山の「時の栖」に行った。ソメイヨシノの古木が何10本も立ち並ぶ遊歩道はもう盛りの時期を過ぎピンクの花弁が散ってカーペットになりかけていた。折からの強風に吹かれ「桜ふぶき」になって、ホテル8階のレストランの大展望の窓の外にまで吹き上げてくるよ。
「かぐら寿司」のランチの鉄火丼が手ごろな値段でとても味がよく私たちはリピーターになっている。今日はさすがコロナ対策のためかお客は他に一組だけ。その中になじみの顔を発見。20年前、東高時代に吹奏楽部で教えた女生徒のお母様だった。米国カラマズー市に演奏旅行に行ったときの32名の生徒の一人で、そのお母様もスタッフとして同行していただいたから実に懐かしい・・・。
新3年生のSU君は前回、和文英訳で「母は私にもっと一生懸命勉強しなさいといつも言います」は、My mother always tells me to study harder.のように「tell 人to〜」の構文を使う。今日は「〜するとすぐに・・」の表現をいくつかまとめて勉強した。普通はAs soon as〜といえばいいのだけど、No sooner・・・than〜とか、Hardly…when〜のような難しい「構文」だった。特に・・・の動詞は「過去完了形」で書かないといけない。
ADさんは前回、「オゾン層に大きな穴を発見!」という英文を和訳した。People are starting to worry about what this could mean・・は「このことが地球の未来にとってどんな意味を持つだろうか、と人々は心配し始めている」。このcouldは「仮定法」で「できるだろう」の意味。今日は「複合関係詞」のwhatever(・・するものは何でも)やwhichever(・・・するものはどちらでも)、wherever(・・・する場所はどこでも)のようにanything that・・・やat any place where・・・に置き換えできる表現を勉強した。
OB君は前回「書き換え問題」で、She is not liked by anybody. 「誰にも好かれていない。」を「能動態」に書き換えるには、notとanyをセットにするとnoになるから、Nobody likes her.が正解。今日は接続詞thatの節が直前の名詞と「同格関係」になる構文を勉強した。The rumor that an election was drawing near proved to be false.「選挙が近づいているという噂は間違いだと判明した。」のように。
社会人のSUさんは前回「大阪大」の英文で、・・・but all those elements in the active intention to have pleasure that were not clearly foreseen. 「・・・だけでなく、楽しみを求める積極的な活動の中でも、はっきりとは予見できなかったようなそういう要素のすべてなんだ。」今日は「比較」の整序と作文をやった。「人の価値は所有物よりもむしろ人物次第です。」はA man's value lies in what he is.という基本文がまず書けることで、「その人物と比べると、それほどたくさんその所有物に依存することが多くない。」と言い換えて、〜doesn't lie so much in what he has as in what he is.
先月まで在籍して大学1年生になったYAさんが参加することになった。「非常事態宣言」のもとで東京の大学がどこもしばらく休校なのでまだ自宅で待機中だ。受験勉強でせっかく築き上げた英語力を維持し、もっと高めるために「UG会」に継続して出席してはどうですか、と提案したらさっそく出席してくれた。大歓迎です。TOEIC検定の記述問題をPART 6から始めた。さらに東京外語大のロシア語専攻になったのですこし手ほどきをしてあげた。
御父兄の皆様へ・・・コロナの感染者の増大に伴い「非常事態宣言」がでた東京や神奈川では「学習塾」も休校を求められていますね。その学校規模にもよるし地域の感染者数にもよるのでしょうが、箱根山を越えるおかげか御殿場・裾野にはまだ感染者が出ていません。わずか4〜6人の「UG会」は来週もまた十分に注意しながら実施する予定です。
今日も開始前には会議室の換気(ドアと窓の全開)をして準備しました。入室する生徒は全員マスクを着用、長いテーブルには互いに3席以上離れて着席。それぞれ学校の部活も中止のようで早めに出席して、みなさん熱心にプリントに取り組んでいました。症状が少しでも怪しいときはぜひお休みしてください。まずは私が十分に注意いたします。 尾上
(追記)沼津東高・吹奏楽部の初の海外演奏旅行は2001年の3月「春休み中」だった。前年夏のコンクールで静岡県代表として「東海大会」に出場し、小編成の部でみごと金賞を獲得したごほうびとして私が企画した。ちょうど高校が創立100周年だったことで同窓会からも資金援助をいただいた。米国中西部のカラマズー市は沼津市と姉妹提携していて、交流協会の会長も同行していただけることになった。
指揮者で顧問の私のほかに引率するのは教頭と生徒課長に決まったけど看護の女性も必要になり、部員の保護者の一人でたまたま小学校の養護教諭であるTUさんにお願いすることになった。御殿場の市民オーケストラでバイオリンも弾く音楽好きの女性、その人に今日は久しぶりにお会いした。「チェロが一人しかいないのでぜひ仲間に入ってください」と言われて丁重にお断りした。「もう弾けませんよ・・・」
1週間の米国訪問のなかでは生徒全員がホームステイを体験し、現地3高校の吹奏楽部との合同演奏も楽しい思い出になった。帰途には大都市ニューヨークに立ち寄り、「自由の女神像」観光やミュージカル「オペラ座の怪人」の鑑賞など盛りだくさんのスケジュールを精力的にこなして一人の故障も事故もなく無事帰国した。ニューヨークの「9・11同時多発テロ」が起こって、見てきたばかりの「貿易センタービル」が崩れ落ちるのをTVで見たのはその5か月後のこと!
