「沼津市立明治史料館」
私が定年まで11年勤務した「沼津東高校」は来年創立120周年を迎えるそうだ。「記念誌」の発行と「NHK交響楽団」のコンサートを企画しているけど、お決まりのパターンでちょっと残念だね。費用が高すぎて多分N響のOBメンバーしか来ないし。私が在職中には100周年の記念行事があった。それはわが吹奏楽部のアメリカ遠征と山岳部の韓国遠征だった。市民文化センターで開催した「記念式典」ではその報告会が行われた。学校と生徒たちがどれほど活躍しているかをご披露する格好の場になった。
前身の「旧制沼津中学」の創立から120年だから東高は1900年、明治33年に開校したことになる。多くの優秀な生徒が巣立っていき、さらに高等教育を求めていった。私の母校・東京外語にも毎年何人か進学したはずだ。その中に「太田黒重五郎」という人物がわがロシア語科に入学して、同級生の「二葉亭四迷」と親友の間柄だったことをこの春、東京で発見して大いに興味がわいた。(4月17日のブログ日記)しかし、明治12年ころの中学卒業の計算だから、沼中の卒業じゃなかったのかな。それで、真相を求めて沼津市の江原公園にある「明治史料館」に行ってみた・・・。
3年生TUさんは前回「成蹊大」の英文「老齢化」を読んで下線部訳が難しかった。What happens to us after that is of little concern to them. はthatとthemが前文の何を指しているかが難しいし、of little concern(ほとんど関係がない)はof no use(何も役に立たない)と同じ構文だね。「子孫を残した(再生産した)その後にわたしたちに起こることは、その遺伝子とはほとんど関係がない。」今日は「不定詞」の整序と作文をやった。「東京理科大」の英文「民主主義」の和訳が難しかった。・・・so that they will keep effective control of government. 「国民は政府をうまく動かすことができるように・・・」は、「目的」を表す副詞節だね。controlは名詞だけど動詞に置き換えてSVOの文型に戻して考えるとよい和訳になる。「名詞構文」の扱い方だよ。
ARさんは前回「動名詞」の慣用用法を使う英文和訳がとてもよくできていた。The shop assistant who is too busy chatting to her friends to serve her customers,は例のtoo〜to〜構文だから、「友人とのおしゃべりに夢中でお客の応対ができないような店員」と訳せるとよかった。今日は最初にTOEICの検定問題でreadingの問題を40題やってみた。合格圏内の70%に少し足りなかったが次回もやってみよう。次に「否定」の整序と作文をやった。「大学の勉強が社会に出てすぐ役に立つとは限らない」はWhat you study at college will not always be useful soon after you go into the world. で、「部分否定」の表現not alwaysを使いたかった。
受験生のINさんは前回「使役動詞」のmake・let・have・helpの用法で、英文「テレビと子供」の和訳が難しかった。Our children must be taught to control it instead of letting it control them. で itはテレビのことだから「我が国の子供たちは、テレビに自分が支配されるのではなく支配するように教えなければいけない。」今日は「分詞」の整序と作文をやった。「中央大」の英文で「付帯状況」のwith を使う部分が難しかった。It was a pleasant evening with the air warm against my cheek・・・は「楽しい晩で、空気は私のほほに温かく感じられ・・・」と追加の状況として和訳するといい。…
1年生のTU君は前回「否定」の整序問題は入試レベルなのに70%正解だった。楽しみだね。作文は難しくて、「彼はなぜ電話をかけてこなかったのだと思う?」はWhy do you think he didn't call you? だ。なぜwhy が文頭なのか?それは、YesやNoで答える必要がないからだ。一方Do you know why he didn't call you?ならフツーにYes-No疑問文だよね。do you think とかdo you sayの時には疑問詞が文頭に出るんだ。今日は「比較」の上級編を勉強した。He succeeded as a basket player not so much by his talent as by his effort. 「彼がバスケットの選手として成功したのは才能というよりもむしろその努力のおかげだ。」はうまく訳せたね。字面通り訳せば、not so much 〜as〜の構文で「努力と比べると、才能はそんなに多くない」ということだね。 尾上
(追記)生き字引のような学芸員のKIさんから丁寧に説明していただいた。明治9年に「沼津中学」の前身が今の「香陵グラウンド」で開校したけどすぐに火災で焼けてしまい外人講師の自宅で授業をつづけたらしい。その後、国の一県一中学の方針で静岡中学に統一されて沼中は廃校になってしまったそうだ。20年以上の空白の後やっと国の方針で明治33年に、浜松中や韮山中と同様に新たに開校したという。重五郎はやはり古い「沼中」にいたはずだ!
明治以前、江戸には「蕃書調所」があって優秀な人材を輩出していたが、明治維新とともに新政府によって徳川家は静岡に移封された。江戸幕府の幕臣だった重五郎の父親もともに江戸を離れ、静岡藩に住みついて富士宮の原野の開墾をやったらしい。徳川家はすぐに「沼津兵学校」を開設し軍人の育成を怠らなかった。これは医学までも含めた「防衛大学校」のような大きな規模の教育機関だったようだが4年で閉鎖された。そのころ若き重五郎が沼津の小中学校を出て東京の外国語学校に入り、実業界をめざし大成したと想像できる。









