「早咲きのアタミザクラ」
今朝は寒い朝、外気は0℃だった。温暖な海辺に行きたくなって、家内をデイサービスに送ってから熱海に向かった。熱海峠のトンネルを抜けて長い急坂を下ると来宮の「熱海梅園」の横に出た。車窓から見ると紅梅・白梅がもう満開で「梅まつり」に観光客が朝から集まり始めている。それよりお目当ては桜、日本一早咲きという「アタミザクラ」を見に市役所近くの「糸川」に行った。急流の両岸に植えた数十本の桜の古木には薄紅色の花びらが明るい日差しをあびて咲き誇り、ほらもう満開に近いよ。これは沖縄の寒緋桜の仲間らしく有名な「河津ザクラ」より1か月も早いが意外と知られていない。樹の上で花芽を突っついている小鳥の群れはホオジロかな。
さてと、花見よりも今日は山登りだった。「岩戸山」734mに登りたいので登山口の「姫の沢公園」まで上ってきて駐車した。5年前にできたという木造の良い香りのビジターセンターを見学してハイキングコースに出発。樹林の中をジグザグにぐんぐん登る。野鳥の森を越えるとほぼ山頂の「日金山・東光寺」に着いた。本堂をのぞくと暗闇に半跏の地蔵菩薩が祀られている。湯河原の泉地区から渓流沿いにここまで登るのは信者の修験道。終点42丁目の石碑が立っている。相模灘を展望する鐘撞堂でゴーンと鐘を衝いたら先に進もう。ゴールの「岩戸山」まであと30分、山頂から熱海の市街地と伊豆半島の海岸線、伊豆七島は大島・利島の先どこまで見えるかな・・・
今日は木曜日で「裾野教室」の日ですが昨年4月以来休止しているので、「吹奏楽と私」についてお話しします。先月末以来ですが今日はその9回目。
「御殿場南高校」には15年も勤務していた。その8年目の1987年、そろそろ「韮山高校」か「三島北高」に転勤を希望していたのになかなか難しい。2人の年子の息子たちが沼津の私立暁秀中学を卒業して、なんと私の勤務している高校に連続して入学してきたものだから一大事だった。彼らのいない学年に配属してもらって授業や試験にかかわらないように工夫しないといけない。しかし放課後の部活は次男が陸上部なので校内で出会うことはなかったが、長男は音楽大好き、ギターは米国製だったから同じ吹奏楽部に入部しコントラバスと指揮を担当した。3月の定期演奏会「雪どけコンサート」では指揮を親子交替でやったものだ。
1988年の冬、米国シカゴへ旅行することになった。東京の音楽出版社「ミュージックエイト」が「バンドクリニック世界大会(吹奏楽指導者研究会)」の参加希望を募っていたので応募した。初の米国旅行でいい機会なので家内同伴で東部の2都市もオプション計画に入れてシカゴで合流することにして先に出発した。ニューヨークは市内観光や船で自由の女神像を訪問した後、長距離列車「アムトラック」でボストンへ。念願の「ハーバード大学」とMIT(マサチューセッツ工科大学)のキャンパスを訪問した。それぞれ言語学の特別講座で1966、67年に来日し私も学生として学んだ世界最高峰R・ヤコブソン博士とN・チョムスキー博士が教鞭をとっている大学なので感激したよ。尾上
