裾野市民文化センターにて
「岳麓漫歩」
今日はひさびさの雪景色。昨日のうちに外出しておいて良かった。風邪気味で家に引っ込んでばかりいたから、ひさびさに寒風の中を自転車で散歩に出た。もう立春もすぎたのに「秩父宮公園」にはまだ春の気配もないしひと気もない。やはり御殿場は寒冷地だねえ。陽射しは暖かだけどね。丘の上の茅葺きの母屋では一本だけ紅梅がつぼみを開きかけていた。いい香り!
展示館では「つばき」の品評会だった。「わびすけ」は茶花として重宝されている。御殿場は昔「防風林」のために「ツバキの並木」をたくさんつくったそうで椿栽培の歴史がある。秩父宮様も生前お好きだったそうだし、東山「旧岸信介邸」前の「松岡陶磁器館」のお庭はつばきの林で奥様は書物もお出しになるほどのつばき専門家だ。
「松岡陶磁器館」は太平洋戦争直前、「国際連盟」脱退を宣言した外務大臣「松岡洋右氏」の別荘だ。元総理大臣「岸信介氏」とは長州山口県の同郷でともに東山で隣同士に別荘を持った。今はご子息夫婦が洋館風の瀟洒なお屋敷に悠々とお住まいだ。1階サロンに展示の陶磁器を拝見しながらいただくコーヒーのうまいこと・・・。
2年生MIさんは前回「会話表現」に関わる入試問題をやったらほぼすべて正解だった。今日は「省略」と「挿入」を勉強した。「同志社大」の「ストレスの解決法」では、 There is no single solution to the problem of stress. 「ストレスの問題には解決法が一つだけではない。」としないといけない。否定語のnoは直後の単語singleを修飾する、と勉強したから、ちょっと考えたら気づいたね。What is stressful for one person, after all, is not necessarily stressful for everyone. で「挿入語句」の after all がどういう働きかを考える。「結局は」とか「結論的には」という風に訳しておくといい。
SEさんは前回、新しい文法問題を始めた。第1回は「動詞」でいくつか未知のイディオムに悩んだね。 fall behind the times(時勢に遅れる)、cannot do without〜(なしですます)、do away with〜(〜を廃止する)など。今日は「挿入」の(2)という単元だったけど、Where did he say his family were staying? 「彼は家族がどこに滞在しているといってた?」は、did he sayが疑問文に「挿入」されている、なんてウソだ。この問題集も含めて間違った文法説明をするテキストが多くて困る。
本当は最新の英語研究では「WH移動」なのだ。Do you know where his family were staying ? というふつうの「間接疑問文」で know を say やthink などに変えると「疑問詞」の where が「文頭」に移動するのだ。なぜなら Yes-No で答える疑問文ではないからWHで始めるのだ。とても大切な項目でセンター試験などにもよく出題されるよ。
KI君も同じ項目をやったので私の手作りプリントを渡して、その該当ページをすげ替えるように説明した。ただし、関係代名詞と述語動詞の間にある I think、I believe、I knowなどは「挿入」と考えてもおかしくはない。本当はこれも関係代名詞whの移動なんだけど。今日はさらに「同格」も勉強した。The fact that the earth is round was not well known then. でwas の主語はThe factだね。「地球が丸いという事実はその頃よく知られていなかった。」で、The fact「事実」の内容が that the earth is 〜という名詞節なので、名詞と名詞節が「同格の関係、〜という〜」にあるという。 尾上
(追記)地元の好事家・仁藤祐治さんの書いたシリーズ「岳麓漫歩」には、御殿場二の岡と東山の別荘に住んだ住民についての記述がくわしい。「西園寺公望侯」や「広岡浅子」、「東山千栄子」もそうだが、「ごてんばの古道」と同じようにこれも御殿場図書館で閲覧することができる。「竹久夢二」の「黒船屋」が描かれた記念切手の表紙絵が楽しい。
私の住む「二の岡」は昭和の初期に売り出した別荘地で「対山荘」という名だ。その頃の政界財界のトップの人たちが「三井信託」から購入した。名前の挙がった数十人の方々の中で「川上俊彦(としつね)」の紹介があった。明治時代の「ロシア語の権威者」と仁藤さんは書いている。「これはひょっとして先輩かな?」と同窓会名簿を開いてみたら、あった!開校したばかりの「明治17年」に東京外国語学校・露語学科を卒業した4人の内のひとりだった。ウィキペディアでも調べてみた。
明治の文豪「二葉亭四迷」もわれらが先輩で、川上の2年下1864年の生まれで「外交官」をめざし同時期に外国語学校・露語学科に入学している。川上は卒業後明治政府の外交官になって、「日露戦争」終結の時には、乃木希典大将とロシアのステッセル将軍との会見の通訳を務めたそうだ。のち満州国の領事、満鉄理事、ポーランド公使を勤め、最後は「日魯漁業」の初代社長になったそうだ。80年前、桁外れのスゴイ先輩がこの別荘地に住んでいたとは!









