今日は「体育の日」。今から52年前のこの日は快晴の土曜日で、「1964年東京オリンピック」の開会式だった。まだ白黒テレビだけど中継されるのをどこかで見た。私は東京外国語大学でロシア語を専攻していたけど、2年生以下には大会の通訳やボランティアの要請もなかった。山仲間の同窓AO君はサッカー部に所属していてその競技の補助員に依頼されたらしいが。
「ボート競技」は埼玉県の「戸田ボートコース」だった。私は1年生前半は伝統あるボート部に所属し、毎週末西ヶ原の「庚申塚」から都電に乗って練習に行った。オリンピック開催を翌年に控えてまだ改修工事中だったけど、大学の艇庫に宿泊もできて練習もできた。コースの外周5キロを何度か走らされてバーベルをやってからやっとボートを水に浮かべるのだ。しかし運動音痴の私にはハードすぎて半年で脱落してしまった。
大学の秋の「運動会」は全学ボート大会で、この「戸田コース」でやった。私は男女の混合フォアで出場した覚えがある。2020年東京大会もここでやったらいいのに・・・。
2年生YO君は「譲歩構文」のうちの Whether S V or not,・・・「〜であろうとなかろうと・・」がよく理解出来ていた。「三重大」の和訳は失敗だったね。Whether we like it or not, it is no longer possible for nations to shut themselves off from the rest of the world. It is ・・・for 人 to 〜の構文は中学の時には「人にとって・・だ。」と訳したけど、高校では「人が〜するのは・・・だ。」と訳すように変更しているはず。不定詞の前のfor 人は次の不定詞の「意味上の主語」だから。「好んでも好まなくても、国々が世界の他の国々から身を閉ざすことは(鎖国することは)もはや不可能だ。」 the rest は「その他の〜」の意味。
ENさんは前回「青山学院大」の英文和訳がほぼ正解だった。少々長めになると分析が難しいようだね。 It is better to work to limit pollution today than to wait until increasing damage to the atmosphere results in problems we cannot now predict. は接続詞の than が直後の to wait〜 と to limit〜とを対比させていることが分かる。更に接続詞 until以下の文では results in が動詞だとわかれば正解だ。 「大気への汚染を増やすことで今は予想できない問題が生ずる時まで黙って待っているよりは、汚染を制限すために動き出す方がいい。」 今日は接続詞の as long as、as far as(〜の限りは)と、「様態」の as (〜のように)を勉強した。When in Rome, do as the Romans do. は「郷に入りては郷にしたがえ。」 という諺に等しく、「ローマにいるときはローマ人がやるようにやれ。」
裾野教室のMIさんがこちらに出席した。「譲歩構文」の一つ、Whoever S V〜(だれが〜しようとも)や、However difficult it may be, (それがどんなに難しくとも)などを勉強した。wh疑問詞の後に ever をつけて「譲歩的」に、「どんなに〜しても・・」と逆接のような意味で文をつなげる構文だ。英作文は「動名詞」を使う入試問題が中心でどれもほぼ正解が出せたね。
裾野教室に入会したKI君もこちらに出席した。「仮定法」の特殊な表現を勉強した。仮定法の動詞は、今の事実や昔の事実に反する仮定の気持ちを伝える。 If it were not for water, は「水がなければ・・・生命が存在しないだろう」でもいいけど、「仮に水が今ないとすれば・・・しないだろうが。」と、事実とは逆のことを、あり得ないけど、とほのめかすように和訳するととてもいい。
3年生TA君は前回「形容詞・副詞」で、否定の疑問文に対してYes と答えると日本語では逆の意味になることを英文和訳で勉強した。とくに「信州大」の英文が難しかった。一文に4つも5つも節が繋がって、修飾関係が判定しにくかったね。 ・・・, if they cherish ambitions to excel in occupations for which they are not qualified; ・・・は4行にもなる長い文の一部だが、they are not qualified for the occupations (そういう職業の資格がない)から判断すれば、「自分がその資格がないような仕事で人に勝ちたいという野心を彼らが抱いているならば・・・」
今日も「センター試験」の模試問題をやったら「並べ替えで」ひとつ失敗だった。選択肢を動詞中心に並べると I did not get home until midnight. と書ける。問題はNotで始めよ、と指示しているから「ああ、否定語句を文頭に出して強調する例の『倒置の文』だ!」と気づけばよかったね。Not until midnight did I get home. (真夜中になって始めて私は家に帰った。)となるよ。
中学生のNI君はテスト前で欠席した。 尾上
(追記)「戸田ボートコース」はその30年も前に「オリンピック」用に完成していた。もともと東京オリンピックは1940年(昭和15年)の開催が決定されていたけど,日本が戦時体制に移行しつつあったことで中止になったんだ。翌年にはハワイの「真珠湾」を攻撃して、日本は大国アメリカとの太平洋戦争に入った。4年近い苦難の末に広島・長崎の原爆投下に及んでとうとう「無条件降伏」した。
だから実際の東京オリンピックの実施は終戦後、経済復興も成し遂げた24年後のことで、これを機会に全国のインフラが盛んになり、「東海道新幹線」が開通したり、テレビの家庭普及率が80%を越えたりした。高速道路網が整備されて、「名神高速」や「東名高速」の建設へとつながる契機になった。車社会の到来だ。1968年には私も最初のマイカー「トヨタ・パブリカ」を購入した。真っ赤なヤツだった。
アメリカのテレビが日本に中継された最初の放送は1963年11月23日(土)で、その日大学近くの「そば屋」のテレビで見た。なんとそれは、「ケネディ大統領」がテキサス州ダラスで暗殺された!というニュースだった。翌年のオリンピック東京大会は、アメリカを経由してヨーロッパにも中継されたそうだ。
