例によって大変ご無沙汰の日記です(..;)
何でも書いていいのなら書くことは毎日山ほど有るけど、一応公に開かれたものなのでそうもいかず…って……なんだか大人気ないことを言ってるな!!
昨日は高知市内の太平洋学園でのコンサートだった。
この学校の校長は、僕が盲学校高等部に在籍していた頃の生徒指導部長だったO先生。
つまり、少しはみ出し気味だった生徒達が特にお世話になっていた有り難〜い先生(苦笑)。
公立高校を定年退職され、その後の身の振り方もほぼ決まっていたのを、私立の本校に強く恋われて就任されたとのこと。
O先生は31歳で新採用教員となり、いきなり初任校が盲学校、しかも生徒指導部長ということで、なかなかにご苦労も多かったはずだけど、型に填らず生徒と心を交わすことを最重点に考えてくれる話しやすい先生だった。
「あの時は俺も少なからず心を痛めたぞ!!」。
「いやほんとに…なんぼか大変やったと思います」。
今では青春の思い出の1つであり「やじろべえ」という大切な歌が生まれるきっかけともなった「あの時」を、教師と生徒ではなく、いい歳をした大人の男同士として静かに語り合った。
僕は専攻科1年(18歳)の10月から翌年3月(つまり年度末)まで自宅謹慎(無期停学)の処分を受け、結果出席日数が足りなくなって留年することとなった。
「度重なる喫煙や飲酒」「深夜徘徊」「非行の先導」等々が積み重なって…っていうのが公に発表された理由だったけど……??
それにしても、あまりにも処分が重すぎるということで、当時の生徒会役員が中心となって「堀内佳の早期復学を求める署名」なるものを学校側に提出してくれたらしいけど、「生徒会にそんな権限は無い」と一蹴されたとのこと。
当時の僕としても「なぜ今更この時期に?」という疑問もあったし、とにかくいろんな意味で納得し難い処分と言わざるを得なかった。
「結局のところ、あの時は彼女と引き離すっていうのが学校側の一番の目的だったんですよね??」
「まあそうやな…けどあれは本来寮の問題で学校で対応するのは難しいって言うたんやけどな……」
「当時のH校長せんせいにね、僕は学生だからどんな処分を受けてもやり直せるけど社会人の彼女の経歴に傷をつけたら取り返しがつかなくなるから、その辺を何とか考慮してくださいって泣きながら懇願したけど、そんなことおまえに関係無いって一蹴されてしまって……」。
「けど結局彼女には公には処分は無かったやろう??」
「そうですね…まあ最終的にはご両親の逆鱗に触れて故郷に呼び戻されてしまいましたけどね」。
「いや〜…けどほんまにあれは難しい判断やったわ!!」。
「僕も周囲の仲間や沢山の人を巻き添えにしてしまったことは本当に申し訳無いって今も思うんですけど、何が何でも彼女を護ろうという一心で必死に抵抗したことは決して後悔していませんし、まあ大切な基礎医学を学ぶ1年生を2回やれたのは良かったですよ(笑)」。
「あの時一緒に生徒指導やったN先生やらK先生は今どうしゆうろう(どうされてるだろう)??」
「N先生とはもうずいぶん前になるけど校長として勤務されてた学校に呼んでいただいた時、やはりこの話をしましたよ」。
「おー…そうやったか……俺も何回もおまえを勤務校に呼ぼうとしたけど公立校は予算とか難しくてなー!!」。
「いやいや…先生にしてもN先生にしても、こんな僕を勤務校に呼ぼうと思ってくださったことが本当に嬉しいです」。
初めて「あの時」を指導教諭の立場に立って考えられた気がする。
O先生の心中を思うと少し胸がキュンとなった。
さて、いよいよ今日は話題の「アラカンライブ」♪
高知県立美術館ホールで午後5時から9時までの長丁場。
昔の仲間・憧れ・ライバル・恋人・友達などなどETC.
様々な形で関わってきた人達と紡ぐ4時間のオムニバス。
半ば同窓会みたいなワクワク感をゆっくり味わいながら、理屈抜きに音楽を楽しもう。
当日もOKらしいので、是非あなたも観にきてくださいね。